子供が生まれる5年前、2000年の冬に一人で訪れたドイツのベルリン。
東西統一から10年目に訪れたことになる。
スカンジナビア航空でコペンハーゲンまで行き、ルフトハンザに乗り継いで行った。
スカンジナビア航空の機内食が美味しかったことと、コペンハーゲン空港が綺麗だったこと、乗り継いだルフトハンザの飛行機が50人乗りくらいの小さなプロペラ機だったことを覚えている。
もうかなり記憶も曖昧なので写真で振り返ります。
宿は旧東ドイツ側にあるアレクサンダープラッツ駅近くにとった。
当時のホテル名は失念してしまったが、現在のパーク イン ベルリンというホテル。
アレクサンダープラッツ駅の目の前で交通至便。
東ドイツ時代に建てられたホテルだけど、外観は立派な高層ホテル。
それなのにとてもお得な宿泊料金だったので予約した。
クーラーはない無いらしく室内には扇風機が置かれていた。
訪れたのは冬だったので冷房は必要無い。暖房はあったので快適。テレビや冷蔵庫はあった。
深夜になるとヨーロッパはどこでもそうだが、とってもアダルトな番組ばかり。CMもドイツのテレクラの宣伝ばかりやってた…。
高層ホテルなのでそれなりに眺望も良かったが、東ドイツ時代の街並みのせいか色が乏しいのが印象的。
このホテルのレストランでブッフェをやってると言うので一度行ってみたが、驚くほど不味かった。一階にバーガーキングがあったのでかなりお世話になった。
とにかく駅が近いというのは便利。定期を買ってあちこち出掛けた。付近ではスキンヘッドでドーベルマンを連れたネオナチと思われる若者を多く見かけたが、治安は悪いという印象も無かった。
未来的(古めの感覚での)外見で旧東ドイツのシンボルだったベルリンテレビ塔はホテルから徒歩圏。
界隈は広い公園とかもあって散歩するには最適。
テレビ塔にももちろん登ってみた。ベルリンの街が一望出来る。
アレクサンダープラッツ駅の界隈は賑やかという感じではなかったけど、落ち着く街並みで、カメラ片手によく散歩した。
電車に乗ってポツダム広場界隈へよく行った。(ポツダム市とは違う)
長くベルリンの壁で真っ二つになっていた広場は再開発ラッシュで、あちこちに工事のクレーンが立ってた。そしてクレーンには熊谷組と書いてあることが多く、日本のゼネコンが世界で活躍していることを目の当たりにした。
クレーンとクレーンの合間に既に完成した真新しいビルがあって、街が急ピッチで作り直されていることが分かる。とにかく工事だらけ。
ポツダム広場再開発の目玉で、先陣を切って完成したばかりだったソニーセンターにも立ち寄った。屋根が特徴的で皆、天井の写真を撮ってた。
熊谷組にソニー、日本の力を感じたポツダム広場。
ポツダム広場には既に西側の匂いがぷんぷんする立派なショッピングセンターもあった。
アルカーデンというショッピングセンターで、3階建てのフロア全体を採光できるアーケードで覆った様な建築。
アルカーデンの側にはシネマックスという大きなシネコンがあって、ここで3本くらい映画を観た。
観た映画はジム・キャリーが出てた「マン・オン・ザ・ムーン」と市川崑の「どら平太」、そしてSABUの「MONDAY」
ベルリン国際映画祭が開催されていたことも旅の行き先にベルリンを選んだ理由だった。
なので映画祭の出品作品の中から観る映画を選んだ覚えがある。
市川崑監督もSABU監督も来ていたので、映画館で生で見た。
クーダム(旧西ベルリン)にあるカイザー・ヴィルヘルム教会。
大戦中のベルリン大空襲で破壊された当時のままの姿で残されていた。
映画「ベルリン天使の詩」で有名になったジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)。
近くのブランデンブルグ門から歩いて行ったのだと思うけど、何故かブランデンブルグ門の写真が無い。逆にここからブランデンブルグ門に行って、暗くなって写真が撮れなかったのかもしれない。
この金色の像は天使ではなく勝利の女神ビクトリア。
パリのルーブルにあるサモトラケのニケも実は同じ女神で、ニケを英語読みするとナイキ。
スニーカーで有名なナイキはここから名をとった。あのマークは女神の翼をデザインしたもの。
以上豆知識。
シュプレー川には遊覧船があった。乗らなかったけど。
この川沿いの辺りで蚤の市があったのでそれに出掛けた。市の名称は失念してしまった。
ここから博物館島に渡り、ペルガモン博物館に行った記憶があるので、その近くだったと思う。
この蚤の市で多く目にしたのが日本のアニメや漫画の海賊版Tシャツ。
セーラームーンとか、少年ジャンプの漫画とかを勝手にアイロンプリントして作った様なもので、中には字が反転しちゃってるのもあった。
ここで私はマレーネ・ディートリッヒのCDを1枚買った。
シュプレー川の中州に博物館島という場所があり、そこにペルガモン博物館はある。
ペルガモン博物館はペルガモンの大祭壇をはじめとする巨大展示物を収蔵するために作られているせいか、とにかく広々している。いる場所が既に展示物という感じで、何をどう観ていいのか分からないという印象が残ってる。
博物館島の並木道は第三の男チックで素敵だった。
Uバーンに乗ってチェックポイントチャーリーのあるスタッドミッテ駅へ。
Uバーンとは地下鉄のこと。地上鉄道はSバーンと言う。
チェックポイントチャーリーは東西分断時に境界線上あった国境検問所。
(東側は国境と言っていたが、西側はこれを国境と言わず、チェックポイントと呼んでいた)
ここには東西分断の歴史に纏わる展示物を観られるチェックポイントチャーリー博物館がある。
入り口に掛けられているのはベルリンの壁の破片。
展示物はベルリンの壁を越えようとした東側住民の悲劇を伝える物が多い。
検問所で見つからないようにエンジンルームやスペアタイヤ収納スペースを改造して隠れ場所を作った車などがある。
東ドイツと言えばトラバントという車。西側ではメルセデスやBMWといった先進の車を製造するメーカーが育っていたが、東側は戦前とさほど変わらない車が生産使用されていた。
国の発展はその民族性よりも国家の政治体制によって大きく左右されるという証拠。
今も残るベルリンの壁を見に行く途中、カタカナでジャイアントと書かれたマックの看板を発見。
ビックマックのことだろうか?
ベルリンの壁に様々な絵が描かれているイーストサイドギャラリーと呼ばれる場所。
1.3kmに渡って世界中のアーティスト118人が描いた絵の数々は圧巻。
ベルリン観光の中で私的にはメインスポット。
Sバーンに乗って郊外のポツダムに。ポツダムと言えば連合国首脳によって日本の降伏条件が話し合われた場所。ポツダム宣言のポツダムです。日本人にとっても縁の場所です。
駅前に映画博物館なんてものがあったので立ち寄りました。
ドイツ映画に纏わる展示物があるんですが、そのドイツ映画の歴史をよく知らず、初期のドイツ映画に興味があったわけでもないので、あまりよく分かりませんでした。
説明はドイツ語だし。
ディートリッヒに関する展示もちょっとあって、何となく記憶に残ってるのはそれくらいです。
ポツダム観光の目玉、フリードリヒ2世の居城だったサンスーシ宮殿。
宮殿と言ってもベルサイユとかにくらべると外観の装飾面は少なくて質素な感じ。
こちらがポツダム会談の行われたツェツィーリエンホーフ宮殿。
こちらも宮殿というよりはでっかい高原のホテルといった趣き。
サンスーシ宮殿もこのツェツィーリエンホーフ宮殿も世界遺産。
ドイツに来たのに毎日バーガーキングや中華、はては回転寿司とかを食べてばかりいたので、ベルリンで評判のソーセージを食わせてくれるというレストランへ。
当時はネットの口コミサイトとかは無かったので、確か「地球の歩き方」かなんかに載ってたんだと思う。
で、ソーセージ料理の中では最も人気があるという写真の料理を頼んだが、なんかブヨブヨグニャグニャした食感でイマイチだった…というよりも私的には不味かった。
日本ハムのシャウエッセンが一番美味いと思う。
10日間か2週間くらいはベルリンに居たと思う。
帰国の日はタクシーでベルリンテーゲル空港へ向かったこと、そのタクシーの運転手が親切だったことを記憶してる。
そして統一ドイツの首都となるベルリンの国際空港が、こじんまりした空港だったのも覚えてる。
帰りもコペンハーゲン乗り継ぎで成田へ。
コペンハーゲン空港で成田行きのスカンジナビア航空が6時間くらい出発遅延となって、空港内で使える飲食券を貰ったのも思い出。